塾と私(1)
学びの場の価値を高めるプラットフォームを提供する、
FLENS(フレンズ)株式会社の社長・大生 隆洋のコラムです。
ICTを活用し、教育の新たな価値を生み出すことに挑む、その想いを語っていきます。
小6の12月頃だったか、私が塾というものに通い始めたのは。
同じ小学校の友達が夏ごろから通い始めたのに刺激を受けた母親の勧めであった。実家は田舎だったので近くに進学塾のようなものはなく、車で30~40分程度かかる塾に通うことになった。塾に行くことに乗り気でなかった私の塾人生の始まりである。
その塾は、鹿児島の難関校への進学を目指している有名な塾で、いきなり4科目の「力の5000題」なる教材を渡され、ちんぷんかんぷんの勉強が開始した。
が、なぜかちんぷんかんぷんながら未知の世界にわくわくしながらなんとか中学生になることができた。大人になって分かったのだが、中学受験用の学習だったようだ。中学受験はしていないが、中学受験の世界をちょっと垣間見た感じだ。
中学に上がると、週4回、18時からの塾に学校から直接バスで50分かけて通い、10時に授業が終わる。親がほぼ毎日迎えに来てくれる。今考えると親の負担は相当大きかったと思う。
塾の勉強はというと、学校の進度は無視してどんどん進む。使う教材も高校用らしいが、不思議なもので理解できる。特に化学や物理のテキストは、中途半端な中学生のものより分かりやすかったし、興味をそそられた。学習をするとき、本質を理解することや、一段高い視点で学習することで、その分野の面白さに気づくことができるのだと感じた。
塾では1クラス50名位の詰め込み状態で、はじめはAとBの2クラスで始まったが、学期に2回の塾内テストでクラス分けさせられる。さらに順位表は塾の建物の外壁に手のひらサイズの文字で掲示される。迎えに来ている親が車の中から順位表を見ている。今思えば、凄いことであるが、それはそれでモチベーションになっていたのは間違いない。
中1の後半には従来のA・Bクラスに加え特訓クラスができ、20名の小数精鋭クラスができた。当時は20名で小数と感じるあたりも今とは随分違う感覚ですが。さらには、週5回通いになった中2の秋にはラ特というクラスができ、7名位の選抜クラスができた。
とにかく勉強が楽しく、塾に行くのが楽しみだったのは覚えている。ただ、私の気持ちとは裏腹に母親の私に対する不安は日増しに増していったとは、当時の私は気づくことはなかった。